ここでは、21世紀経済構造の推進力となるIT革新の特性と内容についてみていく。レジーム・シフトは、産業革命やIT革新という“大技術革新”によってもたらされる。20世紀型社会経済が電気や内燃エンジンなど第二次産業革命の成果であるのに対し、21世紀型社会経済はIT革新によって実現する。以下大技術革新の内容にふれていく。
3.1 大技術革新と小技術革新
・経済史家のモキールは、技術革新を大技術革新(macro invention)と小技術革新(micro invention)に分類した(注8)。その内容は以下のとおりである。
・大技術革新は既存技術からのブレークスルーである。
*前例の無い急進的なアイデアに基づく。
*旧来の技術とは断絶している。
*これが無いと、社会の長期的な発展は止まる。
*その進展は、経済的な誘因にはあまり関係しない。
*幸運とひらめきが重要なため、個人がそれを成し遂げる。
・大技術革新は、破壊的技術(Disruptive Technology)もしくはGPT(General Purpose Technology)とも呼ばれる。このタイプの技術革新で、日本で理解されていないのは、それが生ま れる土壌だ。大技術革新の場合、それが生まれ育つのは官民複合体などの専門家エリート集団では なく、民間の創意からだ。実際、IT革新を推進して来たのは、無名の若者たちである。彼らの特徴 は次のようにまとめられる。
*必ずしも有名大学卒やエリート研究者ではない。アップルの共同創始者のウォズニアックは 大学中退だし、フリーなOSリナックスを作ったフィンランドのリーナスは、学生時代、コンピ ュータOSの権威であるオランダのタンネンバウム教授と大論争の末、自らの設計の優位性を 認めさせた。
*アメリカでも、IT創始者は東部のエリートでなく移民が多い。ペイパルを作ったレプチンは ウクライナ出身、ユーチューブを作った一人のチェンは台湾からの移住者の息子、テスラのイ ーロン・マスクは南アフリカ出身、自動運転のスランはドイツ出身である。彼らはアメリカと いう場を得て、IT企業の創始者になっている。
*IT創始者で大事なのは、ハートと腕を兼ね備えることである。つまり尋常でない夢を抱き、同 時にコンピュータのスキルに秀でていることが肝心だ。
要するに、ホンダの創始者である本田宗一郎のような個性と才能を持った人々がIT革新の推進者であると思えばわかりやすい。
・これに対し小技術革新は、既存技術の漸進的な改良を意味する。その特徴は以下の通り。
*大革新を補完し、経済社会にその成果が生きるようにする。
*利潤などの経済的誘因によって説明できる。したがって従来の経済学の枠組みで扱うことが できる。
*大学や企業の研究所などにおいて、制度的な開発が可能である。
*学習可能である(人から教わることができる)。
3.2 大技術革新としての産業革命
・数世紀前に、英国で生じた産業革命(1750年-1830年)は大技術革新である。経済史家モキー ルは、この時代を「奇跡の年代」(The Years of Miracles)と名づけている。主たる革新は、動 力(蒸気エンジン)、冶金(錬鉄の量産)、紡織機、工作機械(旋盤)などだが、その中心は動力 革命であった。
・こののち20世紀前半に掛けて、以下の革新が進んだ(第2次産業革命)(注8a)。
・鉄鋼(ベッセマー炉)による錬鉄の代替、合成化学の発達(ソーダなど)、電気が利用可能にな る(電信、発電、動力)。
・交通機関の発達(鉄道、自動車)。
・大量生産方式の普及、いわゆるフォーディズムの発達。
・今日では、第2次産業革命を含めて広義の産業革命ととらえている。
3.3 大技術革新による制度破壊と起業家の役割
・大技術革新は、既存の制度や仕組みを破壊するから、旧体制からの抵抗は大きい。モキールは、大技 術革新の最大の敵は保守主義(conservatism)であるといっている。たとえば、大技術革新が生 まれない社会は、社会全体として保守主義に染まっている場合である。それは既得権益が強すぎ て、新しい動きが育たない社会である。
・大革新は既存の制度と対立し、それを破壊することになる。つまりレジームシフトをもたらすの である。
・大革新を推進する主体は、以下の特性を持つ(シュンペータの言う企業家と通じる)。
*旧制度の主体ではない。
*企業家は新しいことを試みるため、旧制度から法律的、政治的妨害を受ける。
*企業家はあらゆる束縛を打破する、真の原動力である。
3.4 大技術革新としてのIT技術
1) 大技術革新としての認識
・IT革新も大技術革新である(注9)。たとえば経済史家のポール・デービッドは、パソコンを大技術 革新の典型としてとらえている。またデロングとサマーズは次のように述べる。
「今日の先導部門の製品である、コンピュータ、スイッチ、ケーブル、プログラムは大技術革新であり、・・・急速な技術革新が価格の急落を招いている」(Delong & Summers、参考文献 [11])。
・こうしたIT革新の可能性にいち早く気づいたのは、当時FRB議長だったグリースパンである。彼は 20世紀末の1997年に、「われわれは100年に一度か二度の技術革新に遭遇しつつあるのかもしれ ない」と述べている。
・この発言が画期的だったのは、当時のエコノミストはこうした変化の生じていることを、ほとんど 見抜けなかったからである。経済史家のポール・デービッドは、「それでも多くのエコノミストは
この見解に異議を唱えつづけた」と、エコノミストの洞察力の無さを皮肉っている。これは次章で
扱うが、経済学の構造的な問題である。
2) IT革新の駆動力
IT革新は、2つの力を通じて社会経済構造を変えつつある。第一はコンピュータの計算能力の飛躍的拡大、第二はインターネットに代表されるネットワーク環境の標準インフラ化である(注10)。
(1) コンピュータ能力の拡大とムーアの法則
・ムーアはCPUメーカーであるインテル社の創始者の一人である。彼は、コンピュータの計算能力が 1、2年で倍になることを見出した。これは、彼の名前を取ってムーアの法則と呼ばれている。ムー アの法則は、驚くべきことにパソコンの歴史が始まった1970年代以降、現在に至ってもそのテン ポを緩めずに続いている。このために、コンピュータの計算能力は驚くべき進歩を遂げた。
・コンピュータの計算能力は、通常MIPS(一秒間に何百万個の命令が実行できるか)によって測ら れる。最初のCPU(インテル4004、1971年)の性能は0.06MIPSだった。1995年発売のCPUペンテ ィアムでは、この値が300MIPS(71年の5,000倍)に向上した。
・ムーアは、CPUの性能が2012年には10万MIPSになると予測した。これは95年の300倍である。 実際、ゲーム機PS3が1万MIPS(2006年)、IntelのCPUである Core i7Extreme editionが14.8万 MIPS(2010年)、子供のおもちゃのラスベリーが1,000MIPS(2014年、wikipediaによる)に達 している。またスパコン(IBMのブルージーン/P)では10億MIPSが実現されている。ムーアの予 測はすでに達成されているといってよい。
・コンピュータの計算能力が向上すると、ある時点で人間の脳を模倣するに十分な計算能力を獲得 するようになる。人間の脳は100億MIPS といわれているから、スパコンではすでにその10分の1 が達成されたといってよい(注11)。このことから数学者でSF作家のビンジは、コンピュータの発 達は特異点(シンギュラリティ)を越えたと述べている。
・人工知能(AI)の権威で同時に発明家、実業家でもあるレイ・カーツワイルはシンギュラリティ(特異点)を、「人間の知能が非生物的知能と融合して、何兆倍も拡大するとき」と定義してい る。この場合の人とコンピュータとの関係は、ビンジの言葉を使えば、IA(Intelligent Amplifier)となる。つまりコンピュータと人間の知性との協力により、未来を探索する可能性が生 まれる。われわれはすでにその時代に突入しつつある。
(2)インターネットの普及とネット社会の到来
インターネット技術には、2つの特徴がある(注12)。
・第1は、WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)の設計思想が分散型ネットワークとなっている点 である。その開発者であるティム・バーナーズ・リーは、WWWの特色を以下のように述べてい る。
「テキストは、ユーザーが必要な情報に到達できるようにするため、一つのコンセプトから別のとこ ろにリンクされている。このリンクのネットワークをウェブと呼ぶ。このウェブは階層的である必 要は無い。したがって関連トピックに移るためにツリー(階層)を上り下りする必要は無い。この ウェブは完全である必要は無い。・・・それでも数回のリンクで必要な情報に達することができ る」(Berners-Lee [17])
ここには、ネットワークの新概念、「小さな社会」(small world)現象の本質が捉えられてい る。
・第2は、WWWの開発は、個人の創意によるものだということだ。ティム・バーナーズ・リーは、 WWW開発のプロポーザルで、その開発には6ヶ月の時間と8万ドルがあればよいと言っている。つ まり、WWWは個人の創意によって、短時間のうちに、低コストで作り上げられたものなのであ る。素人が大発明をする。実はこれがすでに述べたように、大技術革新(マクロインベンション) の特徴である(3.3参照)。
・こうしたインターネットの急速な普及の背後にあるのは、メトカーフの法則である。メトカーフ は、ゼロックス社パロアルト研究所(マウス、Smalltalk、レーザープリンター、GUIなどの発明 で有名、ウィキペディアによる)でイーサネットを開発し、それを販売するためスリーコム社を作 り上げた技術者である。彼は、ネットワーク有用性はそれに接続する人の数の二乗に比例すると述 べた。これを、彼の名を取ってメトカーフの法則と名づけている。つまりネットワークは利用者が 増えるほど、その二乗に比例して利便性が増す。インターネットはまさにこの法則にしたがって、 利便性の急拡大とともに爆発的な普及を遂げたのである。経済学者はこの現象をネットワーク外部 性と呼んでいる。
・インターネットの普及に、ネットワーク外部性が有効に働いたのは、それが安くて簡単にネット ワーク接続する手段を大衆に提供したからだ。インターネットは接続プロトコルとしてTCP/IPを 用いている。接続プロトコルとしては、TCP/IPの対抗馬として官製のプロトコルISO/OSIがあ り、日本を含めた多くの政府はそれを本命と考えてきた。ところがTCP/IPを採用したインターネ ットの方が単純で、しかも参加者の創意をうまく取り入れていったために、事実上の標準となって しまった。便利で安いネットワークのユーザー数が瞬く間に増えれば、そこにネットワーク外部性 が働き、対抗馬は見向きもされなくなる。日本で当初、インターネットの普及が進まなかったの は、ISO/OSIに固執したことも一つの原因かもしれない。
・インターネットが普及するにつれ、それをP2P(ピアツーピア)ネットワークとして利用すること が可能になった(注13)。P2Pとは、ネットワーク接続されたコンピュータ同士(ピアもしくはノー ド)が対等の立場で直接通信するシステムである(ウィキペディアによる)。データは各ノードに 分散されて保管される。これに対比されるのがクライアント・サーバー方式で、サーバーに対して クライアントがぶら下がり、クライアント同士の通信はサーバーを経由することになる(WWWは この方式)。この方式では、データはサーバーに保管される。
・P2Pの始まりは、ナップスターによる音楽ファイルの交換システムである(1999年)(注14)。次い で2000年にグヌーテラが登場した(ファイル交換ソフト)。これは、インデックス・サーバーを持 たない完全なP2P形式を採用していた。次いでグヌーテラの欠点を補ったKaZaAが2001年に登場 した。これはP2Pソフトであるスカイプ(無料の電話システム)に発展した(5.2参照)。
・2008年にSatoshi Nakamotoが“Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System”という論文 を発表した(注15)。これによってP2Pシステムは「分散コンピューティングによって価値のやりと りやディジタル資産の所有権の保証を行うためのネットワーク基盤となった」(アンドレアス・ア ントノプロス[20],p2)。そしてディジタル貨幣のビットコインが2009年に始まった。このイ ノ ベーションが第一章で触れた、銀行セクターの消失につながる。
・計算能力の驚異的拡大と並んで、インターネットの普及とブロックチェインの開発は、シンギュ ラリティ(IT革新の本格化)のもう一つの側面といえる。
3.5 IT革新と21世紀型経済構造の出現
IT革新が、いかなる形で社会経済構造に影響を与えるかを、雇用のグローバル化と利益の勝者皆取り(winner takes all)という2つの側面から見ていく(注15a)。世界の労働と資本の配分構造は、IT革新によって大きく変わりつつあることがわかる。
1) IT革新と雇用のグローバル化
・IT革新によって、これまで国内問題として見てきた雇用をグローバルな視点で見る必要が出てく る。
・2013年9月に、アメリカで「供給過剰の時代」(ダニエル・アルパート著)という本が発売さ れ、各方面の注目を浴びた。それは、この本が雇用問題を個々の国の問題ではなく、世界経済全体 の問題としてとらえたからだ。マッキンゼー・グローバル・インスティテュートによると、世界の 労働人口(非農業部門)は、1980年から2010年にかけて9.1億人から19.6億人へと2.2倍に増加 した。世界GDPは同じ時期に2倍強伸びているから(WTOによる)、労働力とGDPの伸びは、世界 全体としては、ほぼ見合った伸びを示している。
・しかし地域別に見ると、アンバランスが生じている。雇用増は主として途上国で生じている(途 上国の非農業の雇用は1980年の4.7億人から2010年の13.6億人へと2.9倍に増加)。他方で、先 進国では雇用はほとんど伸びていない。これはIT革新によって世界的なサプライチェーンが整備さ れたため、雇用が先進国から途上国へ流出したからである。だから先進国がいくら財政・金融政策 で国内の需要喚起をしても、それは製品輸入を通じて途上国に流れてしまい、結局、先進国の雇用 問題には寄与しないことになる。21世紀型経済のもとでは、雇用は一国問題ではなくなることが わかる。ここにも21世紀型社会経済構造においては、新たな視点が必要であることがわかる。
2) 勝者皆取りと利益の集中化
・IT製品の利益は、商品の開発元に集中する傾向がある。つまり先進国のIT企業に利益が集中する ことになる。
・英国の若手経営学者フラウド等の推定によると、アップルのiPhone4Gの販売価格630ドルのう ち、生産費用は178ドルに過ぎず、残りの452ドルが粗利益になるという(CRESC ワーキングペ ーパー、No.111)。実に粗利益率72%である。これによって二つのことが生じる。
・第一は、アップルの製造下請けであるフォックスコン社(台湾が本拠、中国に工場を構える)の 労働条件の劣悪さである。そこの従業員は、過重な労働と低賃金にあえぐと言われ、工場での暴動 (2012年9月)や自殺者の発生が問題になっている。たしかにアップル製品に占める労働コストの 割合は低い(7ドル/台程度)。つまり、受注の拡大が現地の労働者を豊かにはしない。
・第二に、世界中のアップル・ユーザーからアメリカに還流した利益は、アメリカの設備投資には 回らない。なぜなら生産設備は中国など途上国にあり、しかも製造は現地メーカーに委託している からだ。アイデアやソフトの開発に大がかりな工場はいらない。するとアップルに余剰資金が積み 上がることになる。その処分を巡って、さすがのアップルも株主の要求を無視できず、大幅な現金 還元を株主に対して行った。IT企業の場合は、利益の源泉がアイデアにあるから、工場などの設備 投資は必要ない。IT革新は設備投資の増加に必ずしもつながらない。