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清水潔さんの「喧嘩ができない記者」を読む

清水潔さんの「喧嘩ができない記者」を読む

 2026.05.09

・筆者の個人的な体験から始めたい。筆者は日本経済の先行きを見通す作業を仕事としている。さいわいにして、”バブル崩壊”、”IT産業の勃興”、”円安に向かう日本経済”など、タイミングは別にしてほぼ大きな変化を追うことができた。今は日本の自動車産業崩壊などと言って”良識ある”人々のひんしゅくを買っている。

 

・その場合の情報源の一つとして毎日、新聞を読む。こう言えば当たり前の話だが、読むのはウォール・ストリートジャーナルとフィナンシャル・タイムズだ。前者は日本語版があり、後者は最初英語で読んでいたが、最近は翻訳ソフトがよくなったので、日本語化して読んでいる。

 

・申し訳ないが邦字紙はあまり読まない。一応経済紙は自宅で取っているが、週末にまとめ読みをする。これで特に困らない。その理由は2つある。第一は日本経済が世界の中で占める位置が大幅低下したことだ。世界経済の動向を見るためには日本経済の動向を知る必要はあまりない。第二は、残念なことだが、邦字紙の内容は海外に関しては外国ニュースの引き直しが多く、国内に関してもこれはという視点が見当たらないからだ。

 

・そういう日々を続けていたら、同僚から清水潔氏のブログを教えられた。同氏は1999年に起きた桶川ストーカー殺人事件の真相を、一介のフリージャーナリストとして暴いた敏腕ジャーナリストだ。そのタイトルは『「喧嘩」ができない記者--ジャーナリズムの静かな崩壊』だ。内容をかいつまんで紹介する。

 

 *(取材:筆者注)現場は、自分で学ぶもの。事実に迫ろうとする記者の仕事とは、常に何かと対峙することでもある。権力、大組織、そして「空気」。

 

 *それらに対してどこで引き、どこで踏みとどまるか。その判断は現場で覚え、自分で身に着けていくしかない。

 

 *それを持たぬまま、ある日突然、強い力と向き合うことになったらどうなるか。捜査当局すら超えるような権力との直接対峙だ。(以下途中略)。

 

 *不安は不安を呼ぶ。そして自ら警戒線テープを引き始めるのだ。保身のために。その行き着く先が「忖度」記事である。

 

・これを読んでアメリカの記者会見を思い出した。場所も時間も覚えていないが、大統領の会見で、記者が大統領に都合の悪い質問をしたところ、報道官がそれを制止しようとした。すると他社の記者が一斉にブーイングを出し。報道官をけん制した場面だ。報道する側とされる側との間には、こうした健全な緊張関係が必要だ。それが大げさに言えば三権分立の思想でもある。それがない社会はいずれ制度疲労を起こして衰退への道を歩むのではないか。

 

(参考文献)

[1]清水潔、「喧嘩ができない記者」、ブログ、2026.04.20

[2] 同 、「桶川ストーカー殺人事件」、新潮文庫、令和7年