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デロング教授の「ユートピアへの突進」を読む

デロング教授の「ユートピアへの突進」を読む

  2023.04.08

 

・デロング教授の「ユートピアへの突進」(仮訳:原題はSlouching Towards Utopia)を読了した。これは530ページの大著でなかなか読みごたえがある。

 

・デロング教授はカリフォルニア大バークレイ校の経済史の専門家(1960-)。

 

・内容を論じる前に、経済学の現状にちょっと触れておく。その方が、本書の現代的意義を読み取りやすい。2008年の金融危機以降、経済学は大きな転換を遂げつつある。きっかけは英国女王(当時)の素朴な質問、「なぜ経済学者は今回の危機を予想できなかったのですか」だろう。

 

・この転換は、分析用具が機械仕掛けの精密なモデル(dsgeなど)から”歴史的叙述”(デロングの言葉を使えばgrand narrative、p8)へ変わりつつあることを意味する。この点は大きな問題なので、稿を改めて論じることにする。新たな潮流である”歴史的叙述”の典型がロバート・ゴードンの、「アメリカ経済の興亡」だ。ゴードンが分析対象をアメリカに絞ったのに対し、デロングは世界経済を対象とし、19世紀半ばから現在までの変化を取り扱っている。

 

・具体的には、”広義の20世紀”(long twentith century、1870-2010年)が対象だ。1870年以前は世界経済は低迷を続けていた(年平均成長率0.45%)、しかし”広義の20世紀”においてはそれは2.1%へと上昇する。そして2010年の一人当たり所得は1870年の8.8倍に達した。これはグローバル化、産業における技術革新、現代的な大企業によってもたらされた。

 

・しかし2010年になると、この動きは止まる。経済低迷、所得の不均等、温暖化問題などが、成長に代わって浮かび上がってくる。

 

・本書の特色は登場人物が多種多様なことだ。たとえば、ハイエク(1899-1992、オーストリア生まれの経済学者)、カール・ポランニ(1886-1964,ハンガリー生まれの経済学者)、マルクス、ケインズ、ムッソリーニ、フランクリン・ルーズベルト、レーニン、マーガレット・サッチャーなど。彼らがこの本の中で生き生きと動き出すのを見るのは、読んでいて楽しい。

 

・たとえば日本編の主要登場人物は、明治維新時に大久保利通、伊藤博文、山形有朋、西郷隆盛、木戸孝允、1929年の大恐慌時に高橋是清など。さらに日中戦争から第2次世界大戦、そして戦後の復興までが論じられている。一つの国でこの詳しさだから、これを世界レベルで論じたところに、この本のすごみがある。

 

・本書で特に筆者が面白かったのは、マルクスの項で(p238-)、かれが自分の生きた時代をそのまま延長して将来モデルを立てたというところだ。今日本でもマルクスが再評価されているが、われわれのように若い時代にマルクス経済学のシャワーを浴びた人間にとっては、デロングの評価が納得的だ。当時(1960年代)は、マルクス経済学の先生方が、日本の恐慌はさらに深まり、これが日本が真の社会主義へ転換する第一歩などとおっしゃっていた。周知のように日本はその後高度成長を遂げ、デロングの言い方を使えば、マルクスが考えたのとは別な形で、21世紀に入り大きな停滞に直面している。

 

・なお余談になるが、本書の日本版にあたるのが、半藤さんの昭和史だ。現在、高校などでは、歴史の授業で昭和という時代がまともに取り上げられることはないだろう。しかし昭和は”われわれが直視せねばならない過去”だ。デロングの言う”歴史的叙述”を半藤流にかみ砕いていえば、歴史探偵ということになる。デロングもそうだが、イデオロギーにとらわれずに、事実(我々の場合でいえば昭和)をまず直視することが肝心だ。これが今の日本の課題だろう。

 

(参考)

・Bradford Delong,Slouching Towards Utopia,Badic Books,2022

・Gordon Robert.,”Is U.S. Economic Growth Over? Faltering Innovation Confronts the Six Headwinds”, NBER Working Paper No. 18315, August 2012

・カール・ポッパー、「開かれた宇宙」、小河原誠、蔭山泰之訳、岩波書店、1999

・半藤一利、「昭和史」、平凡社、2006