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太平洋戦争:南部仏印進駐の意味

太平洋戦争:南部仏印進駐の意味

 2023.03.05

・最近の日本の現状をみるにつけ、太平洋戦争の失敗からから学ぶところが多いのではないかと感じている。

 

・最初に半藤一利氏(歴史探偵を自称)の”予言”から。

 

 「私の勝手な史観でいうと、”第一の滅び”は日露戦争にはじまり、太平洋戦争の敗戦で終わった。そこから日本は”第二の国づくり”をはじめ、バブルを経て、”第二の滅び”へと入った。つまり”終わりのはじまり”がすでにはじまっている。

  

  私の計算でいけば、2030年が”第二の滅び”の最終年になる。・・・今のうちに・・・”第二の滅び”を何とかしておかないと、日本は本当に滅ぶかもしれない。・・・日本が本当に滅び去ってしまわないためには、太平洋戦争の教訓を正しく汲み取って、いまこそ生かさねばならない」(半藤・江坂、p247)。

 

・今回は日本陸軍の南部仏印進駐に関してだ。日本は1940年援蒋ルートの遮断を目的として、北部仏印に進駐した。なお、同年日米通商航海条約破棄が発効している。

 

・そして1941年7月に日本は南部仏印に進駐し、これに対しアメリカは石油禁輸をもって対抗し、これが日米戦争のきっかけになった。

 

・話は飛ぶが、最近参謀本部に勤務した西浦進氏(陸士34期、恩賜時計組、陸大卒)の回顧録を読む機会があった。

 

・この本は筆者にとって若干読みにくい、それは西浦氏がエリートだったため、記述の多くは、A氏(陸士**期)などとなっており、しかも陸大卒かどうかが、人物判断の基準になっていたようだからだ。たとえばB氏は”無天”だが有能(例:西浦本、P59)などの記述がある(無天とは軍服に陸大卒業生である記章の”天保銭”がついていないということで、陸大卒でないことを意味する)。現代のわれわれにとってみれば、A氏やB氏が陸大卒であろうとなかろうと関係ないからだ。

 

・今の官僚でいえば、キャリア組かどうかが相手の能力を判断する第一条件になっているのと同じだ。それはさておき、読んでいて不思議に思うのは、最初にふれた南部仏印に関する記述だ。

 

・氏は南部仏印進駐の理由として、シンガポールを空襲するための航空基地の建設をあげている。しかし地図で測ってみればわかることだが、サイゴンとシンガポールの直線距離は約1,000キロであり、仮に南部仏印に進駐しても、そこからシンガポールの空爆は困難だ。

 

 「日本陸軍機の航続距離がもっと大であればこの必要はなくなり、したがって南部仏印進駐がなければ対日禁輸もなかっといえるかも知れない」(西浦本、P208)

 

・実は海軍は、ゼロ戦を使って台南からフィリピンを空爆していた。その距離は往復1000海哩である(約1,850キロ、坂井本、P87)。こうした情報を陸軍は共有していなかったようだ。

 

・それより問題なのは、当時の攻撃機の航続距離からして、南部仏印進駐の目的が果たされないことだ。だとすれば、日米開戦に至る南部仏印進駐の意味が問われることになる。

・西浦氏の本を読んで思ったのだが、当時の陸大は技術的知識をちゃんと教え込んではいなかったのではないか。西浦氏が飛行機の航続距離に関する技術的知識を持っていたとは思えない。こうした状況で南部仏印進駐を理由があいまいなままに決めて、太平洋戦争への道を開いたのは、まことに残念というしかない。

 

・翻って現代はどうか。半藤・江坂本に次の記述がある。

  

  「欧米でいつも受ける質問があります。・・・大蔵、通産、銀行のトップは経済感覚が欠かせない。それなのになぜ全部東大法学部出身なのか」(半藤・江坂、P166)。

 

・つまり今も昔も、エリート官僚は、判断に必要な専門的知識が基本的に欠けているようだ。これに関しては、昔の陸大も、今の東大法学部も同じことだろう。こうしてみれば、例のラピダス(Rapidus、2027年までに2nm世代半導体を量産)も同じ轍を踏みそうだ(中島、2023年2月28日)。

 

・この仕組みを変えない限り、半藤氏の言う”第二の滅び”は避けられないかもれない。

(参考)

・西浦進、「昭和戦争史の証言 日本陸軍終焉の真実」、日経ビジネス人文庫,

2013

・坂井三郎、「零戦の真実」、光人社NF文庫、2021

・半藤一利、江坂彰、「撤退戦の研究」、青春出版社、2015

・中島聡、「Life is Beautiful」、2023年2月28日号