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大組織における”仕事師”と”政治屋”

大組織における”仕事師”と”政治屋”

  2022.09.18

・誰かに聞いたのだが、大組織には”仕事師”と”政治屋”がいるらしい。

 

・”仕事師”は、周りの感情や組織内政治などを忖度せずに、その組織にとって必要なことをどんどん進めていく。これに対して”政治屋”は、組織内政治にうまく立ち回ることを目的として、仕事の成果は二の次になる。

 

・それでも大企業で出世するのは、”仕事師”ではなく、”政治屋”の方らしい。

 

・こんなことを思い出したのは、ゼロ戦のエース・パイロットだった坂井三郎氏(1916-2000)の著作を読んだからだ。彼は兵学校出ではなく、現場からのたたき上げで、終戦時は特務中尉だった。撃墜した敵機の数は30機を超えたという。アメリカの爆撃機B-17を最初に撃墜したパイロットとして知られる。

 

・彼が静かな怒りを秘めて書いているのが、柴田武雄大佐のことだ(坂井、p337)。柴田大佐のことを坂井氏は、「もっとも尊敬する海軍時代の上司の一人で戦闘機の師匠だが、戦時中も戦闘機の用兵においては抜群の実力を発揮、今もって当時の部下搭乗員から心から敬慕されている。・・最高の実戦理論家であり、実務指導の第一人者でありながら、日本海軍の中枢にはついに登用されること(なかった)」と記している(同、p340)。

 

・柴田大佐が登用されなかった原因の一つとして、坂井氏は、柴田氏と同期だった源田実大佐との確執を挙げている。源田氏は知る人も多いだろうが、戦後も航空自衛隊の幹部や参議院議員を務めた人物だ。

 

・この源田氏はミッドウェー海戦でも、南雲長官の下で、参謀を務めた。当時の状況を半藤一利氏は以下のようにまとめている(半藤・保坂等、p166)。

 

  *南雲長官は魚雷屋で、飛行機のヒの字も知らない。・・・その下に航空参謀の源田実が付きます。まともに頼りになるのは源田さんだけ。だから南雲長官率いる機動部隊なのに、「源田艦隊」と呼びならわされた・・・

 

  *「敵空母見ゆ」という知らせが来た。が南雲長官は、どうしたらいいか判断できず、草鹿参謀長の顔を見る、草鹿参謀長も困って源田の顔を見る、・・・「そこから1時間余り、モタモタして何もしない。・・・業を煮やした第二航空戦隊の山口多聞少将が、「直に発進の要ありとみとむ」という信号を送るが、順送り・・・(そのうちに)敵機の攻撃を受けて、コテンパンにやられる。

 

・坂井氏によると、「源田実大佐はよく日本海軍の名パイロットと言われるが、実は一回の実戦経験もないパイロットで、もちろん一機の敵機も撃墜した実績のない戦闘機パイロットである」だそうだ(坂井、p343)。

 

・最初のテーマ、”仕事師”と”政治屋”に戻るのだが、以上からわかるのは、日本海軍では”仕事師”の柴田大佐は出世せず、”政治屋”の源田氏が出世し、戦後も位人身を極めることになった。

 

・しかしこれを太平洋戦争の昔話としてよいのだろうか。最近の政治や大企業の行き方を見るにつけ、そこでも仕事師より政治屋が幅を利かせているような感じがする。

 

・平時ならそれで済むだろう。しかし今の日本は、経済も曲がり角に達し、国際政治も難しいところに差し掛かっている。ミッドウェー海戦時の源田氏ではないが、政治屋さんでは、今の状況は処理不能ではないかという危惧を感じる。

 

(参考)

・坂井三郎、「零戦の真実」、NF文庫、2021(オリジナルは講談社刊、1995)

・柴田武雄、「ミッドウェー海戦と源田参謀の無能」、軍事研究、13(6)(147),1978

・半藤一利、保坂正康等、「あの戦争になぜ負けたのか」、文春新書、2006

・源田實、「海軍航空隊始末記」、文春文庫、1996