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映画「にあんちゃん」をみる

 映画「にあんちゃん」をみる。

 2022.08.20

・アマゾン・ファイアで、久しぶりに映画「にあんちゃん」を見た。

 

・これは1959年に今村昌平監督の下で作成された映画である。撮影は姫田真佐久、助監督は浦山桐郎という川島雄三、今村昌平、浦山桐郎ラインのメンバーが顔をそろえている。

 

・この映画は、昭和20年代末の廃坑寸前の炭鉱で働く一家の物語である。主人公は10歳の少女(安本末子)で、にあんちゃんとは、次兄のこと。

 

・両親がなくなり、長兄の臨時仕事でなんとか食いつないでいくものの、彼の失職でそれも難しくなり、次兄と末子は知り合いにあづけられるが、空腹と苦難の日々を送る。

 

・この間の毎日を末子は丹念に日記化した。それを読んで感動した長兄が、末子の反対を押し切って、光文社に送り、ベストセラーとなった。この本を下に映画化されたのが「にあんちゃん」だ。

 

・今の人には想像もつかないだろうが、日本にもこうした古典的貧困が存在したことを、この映画は思い出させてくれる。

 

・ここから映画から少し話が外れる。昭和20年代末、まだ日本は高度成長の波に洗われていなかった。ただしエネルギーの「石炭から石油へ」の転換は急速に進みつつあり、これが、ここでのテーマの中小炭鉱窮乏化の基本原因となっている。

 

・当時の経済学者(マルクス経済学)の、”古典的貧困の解消”に対する処方箋は、社会主義化というものだった。古典的貧困の基本的原因は、資本主義の基本的矛盾にあり、その解決のためには資本主義を止揚して、社会主義化する以外にないということだ。

 

・しかしこうした古典的貧困は、昭和30年代から始まった高度成長によってなし崩し的に解消されていく。経済白書が、「もはや戦後ではない」と述べたのは1956年のことであり、下村治が所得倍増計画を立案したのもこのころのことだ。

 

・すこし大局的に言えば、工業化社会を実現させた後期産業革命のインパクトが日本にも及んだからだ(当時の三種の神器は、電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビ)。

 

・翻って現在を見てみると、経済は低迷し、将来に対する不透明感が強まっている。上のロジックを使えば、ネット社会を実現させつつあるIT革新が、今後の経済発展の軌道を決めることになる。しかし日本の場合、今回はなかなかむずかしい。それは日本が、現状維持志向で、IT革新の成果をうまく生かせないからだ。

 

「現在の日本人は・・・創造性がなく、自分の意思を相手に伝える力を持っていない。日本の政府も財界も官僚たちも全員が上品なお坊ちゃんの集団で、・・・新しい構想を組み立てるほどの論理思考力がない」(森嶋通夫、p80)

 

(参考)

・市井三郎、「歴史をつくるもの」、第三文明社、1978

・森嶋通夫、「なぜ日本は没落するか」、岩波書店、2010