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役所広司の「連合艦隊司令長官山本五十六」をみる

役所広司の「連合艦隊司令長官山本五十六」をみる

 

・アマゾン・ファイアで役所広司さんの「連合艦隊司令長官山本五十六」(2011)を見た。

・この映画は、なかなか見ごたえがあったが、主人公山本五十六の人間像がやや淡い感じがした。これはこの映画の原作が半藤さんの著作だからだろう。半藤さんは、山本五十六と旧制長岡中学の先輩後輩の関係にあり、身びいきを自称している(半藤本、p280)。この意味では、阿川本の方が印象深い。

 

・それはさておき、この映画を見て2つのことが気になった。いずれも南雲忠一中将(当時)の決断に関してである。南雲中将は、ご存じの通り、真珠湾攻撃とミッドウェー海戦における司令官だった。

 

・第一は、真珠湾攻撃の第一波が成功したのち(戦艦撃破)、南雲艦隊がすぐに戦線を離脱したことだ。同行した山口多聞第二航空戦隊司令長官から、「第2撃準備完了」との進言があったにもかかわらずである。

 

・相手側から見てもこれは理解しにくい行動だったようだ。当時米国の太平洋艦隊司令長官だったニミッツ提督によれば、「攻撃目標を艦船に集中した日本軍は機械工場を無視し、・・・燃料タンクに貯蔵されていた450万バーレルの重油を見逃した・・・この燃料がなかったならば、艦隊は数か月にわたって、真珠湾から作戦をおこすことは不可能だった」(ニミッツ、P23)。

 

・映画では、反転の理由は、南雲中将が出発前に海軍本部に呼ばれ、「一隻たりとも船を沈めずに帰ってこい」と言われたからだとなっている。実際半藤本にもその記述がある(半藤本,P197)。

 

・第二は、ミッドウェーにおけるみじめな敗戦だ。これによって日本は空母4隻を失い。太平洋戦争の帰趨が決した。この時南雲中将は、山本五十六(連合艦隊司令長官)の指示(「敵機動部隊に対し搭載機の半分は即時待機の態勢にしておくように」)を無視したことがこの悲劇を招いたといわれる(半藤本、P235)。

 

・この場合にも、ミッドウェー戦の目的に関して、連合艦隊と海軍本部との間で違いがあった。連合艦隊(山本五十六)の作戦目的は、アメリカの空母を引きずりだして、たたくことにあった。これに対して海軍本部の作戦目的はミッドウェー島占領にあった。現場の司令官としては、どちらの目標を優先するか。

 

・軍人には、「けんか屋」と「官僚」がいる。南雲中将は、どうも「官僚」型であったらしい。官僚が重視するのは、作戦の成功より上層部の意見だ。真珠湾のときには、敵のせん滅より、海軍本部の要請が念頭にあったのかもしれない。またミッドウェーの時にも、連合艦隊と海軍本部の思惑の相違が、敵機来襲の報に接したときに、彼の決断を鈍らせたのかもしれない。

 

・しかもこうした決断の迷いの根は深い。よく知られているように、南雲中将は海軍における艦隊派(対米強硬派で艦隊決戦で挑む)だった。これに対し、山本五十六は条約派(日本の国力を考え対米協調を進める)だった。両者の対立は、軍縮条約(ワシントン、ロンドン)のころから続いており、これが南雲中将の決断に響いたのかもしれない。

 

・話を太平洋戦争に戻す。純粋に勝つことを考えれば、こうした海戦は、山口多聞少将(海兵40期、ちなみに南雲中将は海兵36期)に総指揮をとらせるべきだった。上の分類でいえば、山口少将はまさに「けんか屋」で、ミッドウェーの時にも南雲長官に、「現装備のままですぐ攻撃隊を発艦させる」ことを進言するが無視される。彼は残った飛行機をかき集め、敵空母ヨークタウンを中破させた。残念なことに、山口少将は空母飛竜と運命を共にする。

 

・日露戦争の時には、海軍大臣山本権兵衛が、ほぼ退役寸前だった東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢して、日本海海戦の奇跡的勝利を導いた。太平洋戦争のときには、海軍はすでにこうした柔軟性を失っていたようだ。

 

・しかも日本海軍の戦略的”不統一”は、日本側の弱点としてアメリカ側に知られていた。ニミッツ回想録によれば、「日本は、・・・同時に実施する2つの戦略を採用した」(ニミッツ、P48)。これでは戦争には勝てない。

 

・以上長々とほぼ一世紀前の戦争話を続けてきた。しかしここでのエピソードから学ぶことは多い。今の日本は、時代にふさわしい人物をリーダーに抜擢するような組織的柔軟性があるか。また山本五十六のように時代を見通したリーダーがいるだろうか。この難しい時代に、ちょっと立ち止まって歴史を振り返ることも必要だ。

 

(参考)

・半藤一利、「山本五十六」、文春文庫,2014

・C.W.ニミッツ、E.B.ポッター、「ニミッツの太平洋戦争海戦史」、実松譲、富永謙吾訳、恒文社、1973

・阿川弘之、「山本五十六」上、下、新潮文庫、1973