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経済学に進歩はあるか

経済学に進歩はあるか

  211030

・たとえば物理学者に、100年前と比べて理論の進歩があったかと聞いたら、バカにされるだけだろう。化学者に同じ問いを投げかけても、反応は同じだろう。

 

・では経済学に関してはどうか。今多くの学生が、大学で経済学を学んでいる。彼らに経済学はここ50年で進歩したかと聞いたら、「それはそうでしょう」という答えしか得られないだろう。

 

・しかし経済学専門家にとっては、これは真剣な問いだ。その例として、経済思想家マーク・ブローグ(1927-2011)による論文、「経済学において本当に進歩はあったか」を取り上げる。この論文は欧州経済思想史学会編纂の同タイトルの本に収録されている。つまり経済思想史の専門家にとっては、これが極めて重要な問いであることがわかる。

 

・ブローグ自身の主張は明快だ。かれは経済学には、”理論的進歩”(theoretical progress)はあったが、実証的進歩(”empirical progress”)はなかったという。

 

・つまり経済学は数学を使って難しい式を作るテクニックは進歩したが、現実の説明には大した進展はなかったということだ。

 

・ブローグ論文が公刊されたのは2002年のことだが、2008年の金融危機には、この主張を裏付けるような事態が生じた。当時FRB理事会議長を務めていたバーナンキは、議会で金融危機に関して問われて、「よくわからない」と答えた。つまり最先端の経済学者でさえ、現実を説明できないことを白状したのだ。2002年のブローグ論文はこの事態をすでに想定していたことになる。

 

・ではどこに経済学の問題があったかというと、それは1954年のアロー・デブルー論文にさかのぼる。彼らはこの論文で、一般均衡の存在を証明した。しかし肝心なのはそこから先で、この均衡は不安定な多重均衡であり(スカーフによる大域的不安定性の証明)、また価格メカニズムによって安定解にたどりつく保証はない(ABH定理)。

 

・にもかかわらず、経済学者は、単一な安定均衡、完全予見などの前提を変えずに、それを前提とした精緻なモデルづくりに専念してきた(いわゆるモダン・マクロ)。その結果が、上に述べた金融危機における蹉跌だ。

 

・成長論で有名なMITのロバート・ソローは、この点を「モダン・マクロが堅固な土台の上に立つという主張は誤りである」というかたちで明快に指摘した。

 

・ではどうすればよいか。肝心なのは経済学者が単一な安定均衡という基本枠組みを捨てることだ。そうすれば新しい展開が見えてくる。これには他分野での先例がある。気候の歴史を調べる学問を古気候学(peleoclimatology)という。その分野でも当初は、単一な安定均衡という考えが主流を占めていた。彼らの言葉を使えば、斉一性原理(unifortarannism)である。

 

・斉一性原理とは、①現在の気候は、過去もしくは未来のそれの最善の相似物である、②気候変化は循環的かつ安定な形で生じる、というものでJames Huttonが提唱した。

 

・これに対し最近では、この分野では、新カタストロフィー原理(neocatstrophism)が主流を占めている。すなわち「急激な変化が何らなの要因によって生じており、気候の歴史はその積み重ねで形成された」という考え方である。つまり歴史的な進展こそ重要だというものだ。

 

・経済学は、残念ながら、いまだに気候学でいう斉一性原理にしがみついている。この辺で、単一な安定均衡という、”時代遅れ”の枠組みから離れたらどうか。

 

・経済学者の中にはもちろん例外はある。英国の経済学者カルドア(1908-1986)は、この点に早くから注目していたひとりだ。ケインズ経済学はアメリカに移植され、単一な安定均衡と完全予見を前提とするモダン・マクロに”発展”したが、英国ではそれとは異なる見方がカルドアやロビンソンを中心に発達した。次の機会には、それを取り上げたい。現実を説明できないことが、2008年の金融危機以降、経済学にとって現実的な課題だからだ。

 

・われわれが開発中のe予測は、この点に関する、IT時代にふさわしい対処の実現を目指すものだ。

 

(参考)

・Mark Blaug,"Is there really progress in economics?",S.Boehm,Christian Gehrke,Heintz D.Kurz,Richard Sturn ed.Is There Progress in Economics?,Edward Elgar Publishing,2002

・Solow R.,Comments,Journal of Economic Perspectives,Vol.22,No.1,2008

・米盛裕二、「アブダクション」、勁草書房,2007

・室田泰弘、”変動期における経済予測とシミュレータの開発”、経済学論究、Vol.71,No.2,2017