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「歴史上のif:日露戦争と桂・ハリマン協定の破棄」

「歴史上のif:日露戦争と桂・ハリマン協定の破棄」

・井沢元彦氏の連載、”逆説の日本史”を読んでいたら、興味深い指摘がなされていた。

・それは日露戦争で日本がようやく勝って、南満州鉄道経営の利権をロシアから割譲されたときのことだ。

 

・米国の鉄道王ハリマンが来日し(1905年10月)、首相桂太郎と会談し、南満州鉄道の日米共同経営を提案した(桂・ハリマン協定)。この提案に日本の首脳(伊藤博文、井上薫、山形有朋などの元老)は乗り気だった。今大河番組で話題になっている渋沢栄一もこの協定に賛成している。なぜなら満鉄経営による収益があまり見込めないこと、ロシアの復讐戦に対して日本単独では立ち向かえない、という判断があったからだ。

 

・これに対しポーツマス条約を締結した外務大臣小村寿太郎は、帰国後、この協定案に大反対し、ついに破棄に持ち込んだ。

 

・井沢氏は、「なぜ一度は成立した桂・ハリマン協定を日本が破棄することで、アメリカを満州から締め出したのか。日露戦争終結にあたっては、アメリカがロシアとの仲裁に入ってくれたおかげで、戦争に勝てたのに、そんな大恩あるアメリカになぜ手のひら返しのようなことをしたのか」という疑問を呈されている。

 

・これは重要なポイントだ。なぜなら日本はその後満州利権確保のために、無理を重ね、それが結果的に日米戦争につながり、1945年に対米戦で敗戦を迎えることになったからだ。

 

・その経過を、簡単に振り返れば、1915年に日本は当時の中華民国政府に対して対華21か条要求を行った。その中には満鉄の利権延長が含まれていた。この要求は、当時の加藤高明外務大臣が主導したものだが、その内容が公開されると、中国世論は一気に反日に傾いた。当時の日本外交の拙劣さは今から見ても目を覆うばかりだ(詳しくは奈良岡聰智氏の著作を参照されたい)。

 

・さらに日本は、満州確保のために無理を重ねる。それが満州事変であり(1931年)、そして日華事変だ(1937年)。こうして日本は追い込まれ、ついに対米戦争に突入することになる。

 

・井沢元彦氏の文章に戻るが、日露戦争当時、高橋是清がロンドンに資金集めに行ったとき、アメリカの銀行家ジェイコブ・シフが多額の日本公債を引き受けてくれたことに注目している。これは日本にとっては、干天の慈雨で、これによって戦争遂行の資金的目途がたったともいわれている。

 

・井沢氏の疑問は、「なぜい日本にとって都合のいいときに(シフが)ロンドンにいたのだろうか」という点だ。これに関しては後日談がある。西木正明氏の小説「ウェルカム トゥ パールハーバー」に出てくる話だ(今現物が手元にないので、覚えている範囲で書く)。この小説は、第二次世界大戦当初、対独戦で苦戦していた英国が、何とかアメリカを戦争に引きずり込もうとし、その工作が実って、日本がパールハーバー攻撃を行い、それによってアメリカ参戦が実現した経緯を小説としたものだ。小説だから、論証とはならないが、この英国の工作に深くかかわったのが、シフ氏が経営していた銀行だという。

 

・ここで「歴史上のif」なのだが、もしも桂・ハリマン協定が結ばれ、アメリカが満州経営に共同参画していれば、日本はこの利権の固守をめぐって、世界的に追い詰められることもなく、(世界の潮流となった)反植民地のうねりも何とか切り抜けられたかもしれない。その道を取らない場合、石橋湛山の「満州放棄論」がいまさらのように思い返される。

 

・話を現代に戻すが、今の日本政治は世界の大変動期(IT革新の進行、中国など新興国の台頭)にとても対応しているとは思えない。コロナショック一つを見てみても、Xファクターで何とか感染者数が少なくて済んでいるだけで、PCR検査も、ワクチンの接種も進んでいない。その中で、(確たる見通しもないまま)オリンピックを強行しようとしている。

 

・今から30年後に、現代を振り返ったら、”桂・ハリマン協定の破棄”をとても笑うような状態ではなかったと思うのではないか。

 

(参考)

井沢元彦、”逆説の日本史”、1297回、週刊ポスト、2021年4月9日号

奈良岡聰智、「対華二十一カ条要求とは何だったのか」名古屋大学出版会、 2015年

西木正明、「ウェルカム トゥ パールハーバー」(上)(下)角川文庫、 2011年