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オードリー・タンさんのこと

オードリー・タンさんのこと

 2021.01.30

・オードリー・タンさんの名前は日本でもよく知られている。いったいどのような人なのか興味があったので、「オードリー・タン:天才IT相7つの顔」を読んでみた。

 

・これはよい本だ。なぜならこの本の著者は、単なる小器用に本をまとめるライターではなくオードリー・タンさんと似た立ち位置にあり、彼女の本質をよく理解している友人だからだ。しかも共著者の鄭さんは日本留学の経験もあり、この本はおそらく日本語で書かれたのではないかと思われる。そのため日本の読者にとっては、流れがとらえやすい。

 

・この本を読んで感じたのは2つのことだ。

 

・第一は、タンさんが政府の中枢に参加するようになった経緯だ。それには彼女のひまわり運動への参画が欠かせない。

 

・ひまわり運動は、2014年3月18日に台湾の立法院で、中台のサービス分野の市場開放を目指す「サービス貿易協定」締結に関して強行採決が行われたことに学生と社会運動家が抗議し、立法院を24日にわたって占拠した運動のことだ。この本の著者の言葉を借りれば、「台湾の近代史上、初めてソーシアルネットワークサービス(SNS)を使って、社会の各階層に拡散された社会運動だった」(同書p161)。

 

・タンさんは、議場内で起こっていることを、リアルタイムに全国民に知らせるため、学生のタブレット端末から発した情報を外部に中継する仕組みを作りあげた。これによってデマの発生する余地が少なくなった。また学生たちは、このネットワークを利用して、多言語でニュースリリースを配信し、世界中のメディアに今回の運動に関するニュース材料を送った(同書p164)。

 

・通常立法院の議場に入るには、記者証が必要だったが、これは新聞記者の”理由なき特権”だった。学生らはこれに対し、市民記者証をアップロードした。つまり新聞などのオールド・メディアに頼らずに、自ら情報発信を行う仕組みを、ITの力を借りて作りあげた。さらに立法院の外に集まった人達のために「通行人ハッカソン」を立ち上げ、内部で何が起こっているかを公開した。このため、多くの高校や大学では、立法院外に教壇を運んで現地で授業を行ったという。参加した学生にとっては生きた教材だったろう。

 

・4月6日に立法院長が貿易協定の審議延長を表明して、混乱は収束に向かう。

 

・タンさんが行ったのは、「この抗議行動を通じて、いかにお互いがより理解し得るようになるか。その実現のためにより適切な情報処理の方法を模索する」ことだった(同書p174)。

 

・こうして台湾の政治は変わり始め、政治の素人が台北市長に当選する。つまりタンさんがIT相になった背景には、こうした政治情勢の変化が大きく影響していた。

 

・この本を読んでもう一つ感じたのは、アメリカの詩人フロストの「選ばれざる道」(The Road not Taken)の引用だ(同書p94)。この詩に込められたのは、タンさんがほかの人とは違う道に進むというメッセージだろう。

 

・エネルギー関係者なら記憶があるかもしれないが、この詩は、エイモリー・ロビンズの「ソフト・エネルギー・パス」にも引用されている(ソフト・エネルギー・パス、p64)。ロビンズはエネルギーの将来に関して二つの道があることを示した。一つはエネルギー需要の成長を前提とし、化石燃料や原子力に頼るハードパス。もう一つは、エネルギー需要の内容を見直すことから生まれる、省エネや再生可能エネルギー中心のソフト・パスだ。彼はこのソフト・パスを「いかなかった道」としてとらえ、それを主張するためにフロストの詩を取り上げた。

 

・日本の場合、不思議なことに、ソフトパスとハードパスのこうした排他性は無視され、ソフトパスをハードパスの補助手段としてみるような考え方が根強い。要するにソフトパスの革新的(体制転換的)な要素は無視されるのだ。

 

・タンさんの場合にも、日本では、彼女がとった「選ばれざる道」という側面はあまり重要視されず、ITの天才であることだけが注目されている。しかし筆者は、ひまわり運動への関与にせよ、彼女の「選ばれざる道」の選択にせよ、こうした生き方が、今日のタンさんの行動様式を規定していると思う。

 

(参考)

・アイリス・チュウ、鄭仲嵐、「オードリー・タン:天才IT相7つの顔」、文芸春秋、2020

・エイモリー・ロビンズ、「そふと・エネルギー・パス」、室田・槌屋訳、時事通信、1979