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なぜ日本にGAFAが生まれないのか。

なぜ日本にGAFAが生まれないのか。

  2019.06.23

・GAFAはご承知の通り、グーグル(G)、アップル(A)、フェイスブック(F)、アマゾン(A)の頭文字を取った言葉である。今のIT時代を先導する企業といってよい。

 

・こうした企業がなぜ日本で生まれないのか。それは一言で言えば、プログラミングに精通し、ITの将来に対する確たるビジョンを持ち、かつリスクを取ることをいとわないビジョナリーが、日本に生まれないからだ。そうした素質を持つ人間は間違いなく日本にもいる。しかし日本企業には、そうした資質を生かす環境が欠けているようだ。

 

・今回は、IT時代の先駆けになったマイクロCPUの開発とそれに実際に携わった日本人の体験談から、この問題を考えてみたい。

 

・嶋正利氏は、CPU(パソコンなどの中央処理装置)の初期開発に携わったことで知られている。話は1960年代末にさかのぼる。彼は大学を卒業後(東北大学理学部)、教授の紹介で電卓の開発・販売会社であるビジコン社に入社する。同社は電卓用LSIの開発のためにアメリカのインテル社と提携する。嶋氏は、LSIの共同開発のため1969年6月に渡米し、インテル社に向かう。

 

・空港で出迎えてくれたのは、インテル社のテッド・ホフ。彼がインテル側の担当者となった。ビジコン社はプログラム論理式汎用電卓用LSIの開発をインテルに要望したが、同社はその実現にはかなりのコストがかかることを示し、開発は暗礁に乗り上げる。

 

・1969年8月、テッド・ホフはアイデアを逆転させ、電卓用の汎用LSIではなく、プログラム可能な計算ユニットを開発し、電卓はその応用とすることを思いつく。これが世界最初のCPUである4004の開発につながる。

 

・このアイデアは、ホフがスタンフォード大学にいたときに、IBMやDECのコンピュータを触っていたこと、それにビジコン社の提案(マクロ命令を使用したプログラム論理方式)が組み合わされて、出てきたモノらしい、。

 

・このアイデアに基づいて、インテル社は、史上初のCPU4004を開発した(1971年)。そしてそれをもとに、8008、8080(1974年)を開発し、CPUメーカーの道を進んでいく。

 

・話を少し戻すと、嶋氏は1970年4月にインテル社と最終打ち合わせのため単独渡米する。そこで会ったのがLSI回路設計者のファジンである。嶋氏は彼と協力しながら、4004の論理設計に携る。その後嶋氏は帰国しビジコンで4004使用の電卓開発に携わったが、その後転職(1971年9月)。1972年ファジンが来日し、嶋氏にインテルへの入社を要請する。嶋氏はこれを受け入れ、インテルに転職、8080の開発に従事した。その改良版8080Aには、嶋氏の家紋がマスクに刻まれているそうだ。

 

・1974年ファジンはインテルを退社し、自ら会社を立ち上げインテル互換のCPU、ZA80を開発する。嶋氏もこれに参加し、さらにそこで16ビットCPUのZ8000の開発を行った。1979年子供が学齢期になったので、嶋氏は日本へ帰国する。ここで彼と新世代プロセッサーの開発の関わりは切れてしまう。以上は、彼が最初に渡米してから、わずか10年の間に起こったことである。

 

・こうしてみると、不思議なのは、CPU開発という世界最先端の仕事に従事した人材を、なぜ日本の企業や学会はうまく生かせなかったのかという点だ。

 

・その原因は日本企業のあり方そのものに関わるかもしれない。つまり日本企業が、イノベーションは、自ら作るのではなく、コピーするものという発想から抜けきれなかったことが原因のようだ。嶋氏の本から、これに関する記述を引用してみよう(かれは日本人なので、その書き方はきわめて慎重である)。

 

「私が書いた仕様書(注8080用)・・・(インテルは)主要なユーザに配ってしまった。・・・日本の半導体会社にコピーされるきっかけを作ってしまった。これはとても悲しい出来事であった」(P106)。

 「まったく情けないことに、一部の日本の半導体会社が写真技術を駆使して、もっとも技術者として恥ずべき直接のコピーをするようになった」(P142)

 

・嶋氏は、こうした体験から、日本企業が革新的なイノベーションを作り出すためのポイントを,「製品の基本仕様を事業に責任のある者が一人で「Do Your Best」で決断する」こととしている(P175)。今の日本企業ではこれはなかなか難しいだろう。

 

・嶋氏が活躍した時代はあっという間に過ぎ去り、その後コンピュータの計算の中心はCPUからGPUへと移り、インテルに代わってNVDIAなどが活躍するようになった。また最近では、ユーザ自身(テスラやグーグル)が自らAI用プロセッサーの設計に乗り出している。その間、多くのことが変わった。しかし嶋氏が指摘している基本的なポイントは、今でも日本の企業のあり方に問題を投げかけている。

 

(参考)

・嶋正利、「マイクロコンピュータの誕生」、岩波書店、1988