歴史の進歩との個人の役割
2019/01/05
・哲学者市井三郎(1922-1989)の著作「歴史の進歩とは何か」は、歴史の岐路に立つ現代においてこそ読まれるべき名著である。
・そこでのテーマは2つある。第一は、本のタイトルである「歴史の流れに進歩はあるのか」という問題だ。これに対して市井は、「自らの責任を問われる必要のないことから受ける苦痛を減らす」ことを進歩の基準とする。ここで言う不条理の典型例が奴隷制度だ。奴隷になることで受ける苦痛は,本人の責任ではないからだ。ちなみにスピルバーグの映画「リンカーン」(2012年)は,リンカーンが奴隷を永久解放するため、あらゆる”汚い”政治手段を使って、アメリカ議会で憲法修正第13条を通したときの苦闘が見事に描かれている。
・市井の第二のテーマは、こうした歴史の流れに個人はどのような役割を果たせるかというものだ。ロシアの社会主義者プレハーノフの言葉を借りれば、「歴史における個人の役割」ということになる。つまり歴史の進歩(不条理を減らす)ために、個人はどのような役割を果たせるか、ということだ。
・この点で、市井は興味深い仮説を提示している。それは、歴史には特異点があり、そこに達すると、個人は歴史の転換方向を定めるために、極大の役割を果たすことができるというものだ。この特異点において、歴史を不条理を減らすために立ち上がる個人のことをキーパースンと名付けた。うえにあげたリンカーンや明治維新における坂本龍馬などはその適例だろう。
・本書が書かれた1970年初頭には、市井の議論は、刺激的ではあるが、一つの仮説としてしかとらえられなかった。しかしその後の科学の進歩は著しく、この仮説を裏付ける理論が生まれつつある。それは生命の誕生(これはマクロ的にはほぼ確率ゼロに等しい)メカニズムの解明を巡って始まった。
・そこで明らかになったのは、カオスと秩序の間には”非平衡”という領域があり、この領域では”自己組織化”が生じるというものだ。そこで生命が誕生することになる。市井理論に戻れば、非平衡状態を特異点と考えれば(市井はもともと理学部出身である)、そこで歴史の転換を担う(自己組織化を実現する)のがキーパースンだということができる。
・この場合、歴史に流れがあると言うことが暗黙の前提だが、この点もイリヤ・プリゴジン(ノーベル化学賞)が以下のように指摘している。
「非平衡過程の物理学は一方向的な時間がもたらす効果を記述し、不可逆性に対して新しい意味を付与した」
・話を現代に戻す。今の日本は、リーダーが方向感を失っており、右往左往している。他方で世界は、IT革新によって、大きく変わりつつある。同時に温暖化問題や難民など様々な不条理が発生しつつある。こうした問題を先進国である日本が生き伸びていくためには、無視することはできない。市井の言葉を使えば、日本はこの意味で、歴史の特異点に入りつつあるといえる。この状況にあたって、不条理を減らすために立ち上がるキーパースンの役割が極大化されることになる。2019年の年頭にあたり、このことを記しておきたい。
(参考)
市井三郎、「『明治維新』の哲学」、講談社現代新書、1967
市井三郎、「歴史の進歩とは何か」,岩波新書,1971
Kauffman S.At Home in the Universe: The Search for Laws of self-organization and complexity,Oxford Univ. Press,1995
(邦訳)スチューアート・カウフマン、「自己組織化と進化の論理」、米沢富美子監訳、日本経済新聞社、1999
Prigogine Iiya The End of Certainty, Free Press ,1997
(邦訳)イリヤ・プリゴジン、『確実性の終焉』、安孫子・谷口訳、みすず、1997年