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真山仁氏の「アディオス!ジャパン」を読む

真山仁氏の「アディオス!ジャパン」を読む

  2018.10.20

 この本は副題が「日本はなぜ凋落したのか」となっている。これは小説ではなくエッセイだが、タイトルに引かれて読んでみた。

 

 まず最初に、ちょっとタイトルを誤解していたことを述べておかねばならない。筆者は日本の若者が日本を捨てて海外に雄飛するときのセリフとして(いわゆる和僑)アディオス!ジャパンをとらえていたが、本書では、そうではなく、海外から日本が見放される意味で使われている(同書,p176)。ただしこれは、中から見るか、外から見るかの差だけで、たいした違いはないだろう。

 

 まずこの本で共感したところをあげておく。筆者はジャーナリストらしく現場に足を運び、予断をもたずに現地の人々の言うことに真摯に耳を傾けている。今問題になっている築地卸売市場、311の被災地、韓国の少女像、沖縄の基地、物作り時代の象徴だった阪神工業地帯、ミャンマーなど、日本が向き合わなければならない問題を抱えた場所に行って、現場から思索を始めている。これは本来政治家が是非やって欲しいことだ。

 

 もう一つのポイントは、テーマ別のエッセイだ。ここでも東京オリンピックの意義、外国観光客にとっての富士山、地熱発電とエネルギー問題、カジノとIR問題、トランプ大統領など、今われわれが考えるべき問題を多面的に取り上げている。

 

 この本を読んで、真山仁氏の小説のスタイルがわかったような気がした。かれはハゲタカ(サムライファンドを率いる鷲津政彦)を主人公にして日本経済が抱える様々な問題に切り込んでいる。鷲津政彦はこの場合、市場メカニズムのシンボルなのだ。鷲津がやっていることは資本市場のルールに則り、日本経済を沈滞に追い込んだ旧来の大企業に挑戦しそれの再生を行うことだ。これに対し日本の大企業は、政府に助けを求め、また仲間同士で寄り添うことで、根本的な改革を行わずに、問題の先送りを図っている。いわゆる社会資本主義国家としての日本だ。日銀が株価を維持し、株式に占めるシェアは無視できないところまで来ているという。こうした”社会主義路線”に対する挑戦がハゲタカシリーズのように思える。

 

 本書はエッセイだから、そこで取り上げられるすべての問題を総合的に分析しているわけではない。たとえば地熱発電は、すでに小説「マグマ」で取り上げられているが、そこには日本経済とエネルギー需要の関係、電力需要の将来などの視点は、当然のことながらない。若干我田引水になるが、当方のe予測はこうした問題にたいする新たな分析手法の提示である。

 

 もう一つの問題は、ここには歴史軸がないことだ。これはハゲタカが市場メカニズムの権化である限り、当然のことで、現在のミクロ経済学には基本的に時間の概念はないからだ(例外は英国の経済学者Shackle)。それがどういう意味を持つかというと、たとえば今世界を変えつつあるのは、インターネットやネットワーク・エコノミーといわれるIT革新だ。つまり大技術革新が社会構造を大きく変えつつある。そのインパクトを知るには、ちょっと前にさかのぼって、産業革命がわれわれの生活を含む社会構造をどれだけ変えていったかを、見るのがわかりやすい。この意味で、アメリカ経済の2世紀にわたる変化を追ったゴードンの労作は読むに値する。この本の内容は、アメリカ経済だけでなく、産業革命の恩恵を受けた先進国すべてに通じるからだ。

 

 真山氏は、このエッセイの趣旨を、「歴史の分岐点かと思われるできごとを、・・・好奇心のおもむくままに調べてみた」(同書、p5)と書いている。歴史の分岐点はまさに今の複雑適応系(complex adaptive system)の中心課題の一つだが、その問題はすでに日本の哲学者市井三郎によって明治維新を題材として取り上げられている。ちなみ市井三郎は理学部の出身で、その意味を数学的考えられるという利点をもっている。この問題は別稿でとりあげたい

 

(参考)

真山仁、「アディオス!ジャパン」、2018年、毎日新聞出版

市井三郎、「『明治維新』の哲学、講談社現代新書、1971

ロバート・ゴードン、「アメリカ経済・成長の終焉」、高遠裕子、山岡由美訳

   日経BP、2018年

  Robert Gordon,Rise and Fall of American Growth,Princeton Univ.Press,2016

Shackle G.L.S.Epistemics and Economics,Cambridge Univ. Press,1972