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真藤順丈氏の「宝島」をよむ

真藤順丈氏の「宝島」をよむ

 2018.07.28

 ・小説現代の特集で、真藤順丈の「宝島」を読んだ。

雑誌に単行本一冊分を収録した大特集だ。

 

 ・少し前のことだが、五木寛之の三部作、「艶歌」、「海峡物語」、「旅の終わりに」の最終作が新聞系の小説誌に一挙連載されたことを覚えている。

 

 ・五木寛之の三部作は、流行歌を巡って、コンピュータによる近代的なマーケッティングと、人の感性に頼る昔ながらの職人的な作曲・作詞との対立を描いて印象的だった。これは現在のAI論争にもつながる。最新の議論によれば、「直感的な視点」がなければ、データをどれだけ分析したところで、重要な知見は生まれない。この切り口(視点)を提供するのが、この小説では、古くさい、コンピュータとは無縁の”演歌の竜”だ。

 

・「宝島」に戻るが、これは沖縄の1952年から本土返還の1972年までにいたる20余年を描く絵巻物である。主人公は4人(オンちゃん、ヤマコ、グスク、レイ)。ヤマコはオンちゃんの恋人、グスクはオンちゃんの親友、レイはオンちゃんの弟である。さらに副主人公が孤児のウタとキヨ。

 

・オンちゃんは、戦果アギャー(米軍基地から食品や薬品を盗み出し、それを皆に配る)のリーダー。あるとき基地にグスクやレイと一緒に基地に忍び込むが、行方不明になってしまう。グスクやレイは刑務所に入れられる。そしてさまざまな経緯を経て、グスクは沖縄県警の警官に、ヤマコは小学校の先生となる。

 

・この小説を読みながら、感じたのは、様々な登場人物(アメリカの諜報機関員、沖縄と本土のやくざ、Aサインの女など)が型にはまらず、ふくよかに表現されていることだ。ちょっ話は飛ぶが、池波正太郎の鬼平犯科帳を思い出す。そこでは泥棒も、泥棒から足を洗った鬼平の密偵も、鬼平の配下である同心たちもそれぞれ屈託を抱え、それをかみしめながら、日々生きることが、ストーリーの要になっていた。絶対的な悪人もいなければ、絶対的な善人もいないことになる。

 

・宝島の終盤に、以下の言葉がある。

 「おいらたちはどこに行くんだろう。どこから来てどこに向かうんだろう。この世のニライカナイ(訳注:理想郷)を見つけるのか、元いた場所に戻るのか」

 

 ともかく、あまり難しいことを考えないで、読むのがよいのではないか。読んでいるうちに、沖縄の戦後20年史が自然にしみこんでくる。

 

・この小説に対しては、うまくコメントをつけることはできない。ただ沖縄戦の末期に、海軍沖縄特別根拠地帯司令官だった太田実少将の本土宛電文(1945年6月6日)を引用するにとどめる。

 

 「沖縄県民かく戦えり、県民に対し後世特別のご配慮を賜らんことを」

 

(参考)

真藤順丈、宝島、小説現代2018年6月号、講談社より単行本として刊行。

Pearl J.,The Book of Why,Allen Lane,2018