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森嶋通夫氏の「日本没落論」

森嶋通夫氏の「日本没落論」

 2018.04.29

 ちょっと前に週刊誌の書評欄を眺めていたら、若い人が、森嶋通夫氏の「なぜ日本は没落するのか」を取り上げていたので、「アレ」と思った。森嶋氏(1923-2004)は日本の誇る経済学者で、ロンドン大学教授を勤めた。日本の他の数理経済学者と異なり、社会を構造としてとらえ、それを基本的な知識の土台としたところに彼のユニークさがある。こうした学問的見識は、旧制高校で友人だったT氏との間で高田保馬の勢力論などを批判的に論じ抜いたことに基づいている。

 

 その内容には触れないが(興味ある方は森嶋氏の本を読んでいただきたい)、ここで思うのは、日本が一つの目標を達成すると、その後虚脱状態になり、先のことを考えずに、荒波に漂う小舟のように、漂流しがちなことだ。森嶋氏の懸念もこの点にある。それは彼が外国に長く住み、外から日本を眺め、しかもこの国に対して深い愛着心を持っていたからだろう。歴史を振り返ってみよう

 

 日本は日露戦争に勝って(1905年)、ようやくロシアの侵略におびえないで済むようになった。しかしその後、どのような形で国として生きていくのか、つまり長期ビジョンはなかったようだ。とりあえず、西欧諸国のまねをして植民地を獲得するといった程度の認識しかなかったように思える。その典型例が対華21カ条要求(1915年)だ。これは第一次大戦でヨーロッパ諸国がアジアから目が離れた隙をねらって、日本が中国に対しドイツが中国に持っていた利権の譲渡ならびに旅順・大連などの租借期限の99年延長を申し入れたことを指す。

 

 これは単に無茶な要求だっただけでなく、武力による脅しで中国側にのませたことで悪名高い。これを強行したのは、帝大卒のテクノクラートで、逆に明治維新を実現した元老(山県有朋、井上馨)は反対だったという。これは元老達の明治維新の苦労(欧米列強から日本を守る)を考えれば当然のことだ。いわば被害者が今度は加害者になるわけだから、元老達が納得しないのも無理はない。

 

 またこの要求の出し方は、テクノクラートが仕切ったにもかかわらず、外交的にも拙劣だった。外務大臣加藤高明は練達の外交官だったが、この交渉においては、日英同盟で味方のはずの英国にまで嘘をつき(要求内容に関して)、国際的な支持を失った。加藤高明は首相になりたいために、無理をしたというのが、定説になっている。

 

 この事件で日本が失ったものは多かった。象徴的なのは、シフ氏が日米協会の役職を辞任したことだ。彼は日露戦争の時、日本が戦費調達に苦労したとき、ほとんど一人で日本に金を貸してくれた恩人だ。彼から見ても、日本がかっての苦労を忘れ、近隣国を武力で脅す(まさにロシアが日本にたいして行ったこと)ことは、許しがたかったのだろう。

 

 それから時間が経って、日中戦争(日支事変)が始まった翌年(1938年)、時の首相近衛文麿は、「国民政府を相手とせず」という声明を発して、戦争終結の道を自ら閉ざしてしまった。ちょっと皮肉なのは、ときの陸軍が総力戦を目指していたにもかかわらず、戦争が長引くにつれ、日本経済がそれを負担するだけの力がなかったことに気づかなかったことだ。そして日中戦争のもつれが太平洋戦争へとつながっていく。

 

 さらに時間が経って、敗戦後の日本は奇跡的な経済復興を成し遂げ、1970年代には、GDPでアメリカに次ぐ経済大国となった。ジャパン・アズ・ナンバーワンなどと呼ばれたのは1980年代のことだ。このときも、日本は一種の虚脱状態に陥る。経済大国を誇りながら、その先にどこに行くのかを示すことができなかったからだ。太平洋戦争後の、経済復興を支えた本田宗一郎(ホンダの創立者)や井深大(ソニーの創立者)の後に続いた世代(テクノクラート)は明確なビジョンもなく、会社や日本を漂流させるだけだった。ホンダはたとえば最近の潮流で云えば、EV(無人電動車)の開発には完全に出遅れている。またソニーは出井氏のもとで「追い出し部屋」によるリストラを強行した。

 

 日経の記者だった永野健二氏が書いていることだが、「円高というのは円の価値が上がるということ。良いことではないのですか」と昭和天皇が経済専門家の皇室参与に質問されたという。永野氏の言葉を借りれば、これは「どんな円高になっても生き残れる国に、経済の仕組みや制度を変えなければならないのではないか」という問題提起であったという(永野氏の著作,P259)。にもかかわらず日本のリーダーはこの疑問に真っ向から取り組むことをしなかった。その結果が「失われた20年」だ。

 

 こうしてみると、日本の政治や経済の低迷は、その社会構造と深く結びついて、なかなか一筋縄では解決しない感じがする。最初に触れた森嶋通夫氏の議論を戻れば、結局「中堅国家」としてどのように日本が生き抜くかという問題にぶつかる。資源もなく人材だけが頼りの日本の将来は、リベラルな国として世界の国々と仲良くしていく以外、生きてゆく道はないだろう。

 

(参考)

・森嶋通夫、「なぜ日本は没落するか」、岩波現代文庫、2010

・奈良岡聡智、「対華21カ条要求とは何だったのか」、名古屋大学出版会,2015

・半藤一利、「昭和史」、平凡社、2009

・永野健二、「バブル」、新潮社、2016