第6章. 21世紀型経済構造に関するいくつかの論点

 

 第1章の図(20世紀型と21世紀型社会経済構造を比較する表)の各項目に関しては、これまでの説明でほぼ尽くされているが、残された点を説明しておく。これはテトロックのいうキツネ型アプローチである。様々な論点を点描してみる。

 

6.1ピア生産方式

 

 ピア生産方式は、ハーバード大学のヨーカイ・ベンクラーが、IT革新時代の生産方式を定義した名称である(注26)。

 

・彼は、ピア生産方式の特徴として、①問題の定式化と処理を分散化したネットワークで行う、

 ②仕事を進める要因として様々な動機を包含する、③仕事の処理の枠組みを資産や契約からは自

 由にする、をあげている。要するに、こうした形で衆知を集め、これを利用することにより、IT

 社会/経済に有用な商品を作り上げるというのである。

 

・これは従来の生産様式(20世紀型)と比べるとわかりやすい。これはフォーディズムに代表される

 資本主義型生産様式と呼んでもよいだろう。そこでは、まず企業という組織が生産に従事する。

 この組織は垂直統合方式を採用し、リーダーが部下を統括する仕組みがとられる。そこでの労働

 意欲を高めるのは、賃金や昇進という飴と、解雇という鞭である。この組織は工場やオフィスな

 ど各種設備を保有し、構成員はそれを用いて各種の生産作業に従事する。こうした設備の購入代

 金は、株主の出資で賄われる。製品は市場を通じて販売され、また設備や雇用も市場を通じて取

 得される。つまり企業という生産組織と市場という交換の場が、20世紀型生産を支える基本シス

 テムとなる。そのインフラ基盤として、各種の契約や資産保全(私有制)を保証する各種制度があ

 る(登記所や裁判所)。企業は利潤を上げるために生産し、雇用される人々は所得を得るために

 働く。その所得は、企業の生産する商品の購入に充てられる。

 

・ピア生産方式は、市場の代わりにネットワークがその基盤(コモンズ)となる。解決すべき課題

 が生じると、興味を持つ人々がネットワーク上に集まる。その場合、参加する動機は様々であ

 る。ある人は、純粋に問題を解きたいのかもしれないし、他の人は単に人に褒められたいのかも

 しれない。いずれにせよ動機はさまざまでよい。パソコンとインターネット接続環境さえあれ

 ば、必要な知識と動機を持つ人は、だれでもが課題の解決に参加することができ、そこには雇用

 契約などというものは存在しない。その代わりにメンバー間の一種の信頼関係が重要となる。20

 世紀型が市場(マーケット)と企業組織(ヒエラルキー)によって成り立つなら、21世紀型をささえ

 る基本は信頼(トラスト)である。両者の違いは、経営学者ポール・アドラーの論文のタイト

 ル、「マーケット、ヒエラルキー&トラスト」に的確に表現されている。

 

・ピア生産方式は、21世紀型社会経済ではごく当たり前の存在になる。ベンクラーはその活用例と

 して、ウィキペディア(インターネット上の百科事典)、FOSS(free open source software)

 のアパッチ(ウェブサーバー用ソフト)やリナックス(コンピュータOS、スパコンや組み込みシ

 ステムによく使われる)などを挙げている。

 

・扱う問題が複雑化し、環境の不確実性が高まるほど、この方式の有用性が高まる。それは様々な

 知恵をうまく活用する必要が生まれるからだ。この場合は、完全な解がないことを前提として、

 漸近的に、より良い解を模索していくプロセスが、必要となる(注27)。

 

・こうした衆知を生産に利用したシステムは、21世紀型社会経済では、ベンクラーの上げた例以外

 に、様々な分野で見られる。無人走行を可能にしたDARPAのグランド・チャレンジもその一つだ

 し(2.2)、また現在進行中のイーロン・マスクのハイパー・ループ構想(サンフランシスコとロ

 スアンジェルスを30分で結ぶ高速交通システム、従来型より大幅にコスト安)も公募方式を採用

 している。最近のデザインコンペ(SpaceX Hyperloop Design Contest)ではMITのチームが優

 勝したそうだ(2016年2月)。

 

6.2 衆知を利用した政策決定システムと高速シミュレータの導入

 

 前節では、ベンクラーの定義するピア生産方式について説明し、次に21世紀型社会経済では、資本でなく衆知を集める方式が重要になることをみてきた。ここではその一例として、人々の衆知と、コンピュータの巨大な計算力を利用したシミュレータを組み合わせて、現在の複雑な政策課題の解決を進める試みについて説明する。

 

1) “込み入った問題”(wicked problems)としての現代の政策課題

 

・デザイン科学の専門家リッテルとウェーバーは、現代のさまざまな政策課題を“込み入った問

 題”(wicked problem)として捉えるべきだと主張した(注28)。

 

・“込み入った問題”(wicked problem)は、以下のような特性を持つ。

     *何が問題かに関して、合意がない。

     *複雑な利害関係があり、単純な解はありえない。

     *何を政策手段にすべきかに関しても、意見が分かれる。

     *論理構造が込み入っている(対象分野の多様性、様々な時定数や、ポジティブならびに

      ネガティブフィードバックの存在)。

 

・たとえば温暖化問題は、典型的な“込み入った問題”である。その現象の確かさに関しても議論が

 様々だし、また、対処法に関しても簡単な結論が得られているわけではない。このため、気候学

 者のレビンは、温暖化問題を“特別に込み入った問題”(super wicked problem)と名付けている。

 なぜ“特別”がつくかと言うと、温暖化問題に関しては、人類がそれに対応する時間的余裕がなく

 なりつつあること、また全地球的問題でありながら、これを扱う中心的な機関(法的強制力を持

 つ)がないから、その解決が極めて難しいためである。

 

・“込み入った問題”(wicked problem)に対比されるのが“扱いやすい問題”(tamed problem)であ

 る。その特性は、上と対象的である。

     *何が問題かに関して合意がある。

     *利害関係が単純。

     *政策目的に関しても合意がある。

 

・これまでの政策モデルは、暗黙の裡に“扱いやすい問題”を前提として作られてきた。つまり問題

 の定義も政策目的も明白で、関係者間に複雑な利害関係のない問題として、その解決策が作り出

 されてきた。しかしこれでは、“込み入った問題”を解くことはできない。

 

 

2) “込み入った問題”(wicked problem)を解くための方法

 

・“込み入った問題”を解くためには、衆知の活用が必要である。なぜかというと、問題を多面的に扱

 い、かつ様々な解決法を模索するためには、いろいろなバックグラウンドを持った人々の知恵が

 必要になるからだ。これはテトロックの言う、複眼的アプローチでもある。

 

・IT時代は、幸いにして、強力になった計算力を活用することができる。衆知を活性化させるため

 に、この計算力を活用するのである。問題の解決に、つまり、人間とコンピュータを組み合わせ

 ることになる。ここでは、コンピュータによるシミュレーション・モデルと衆知の組み合わせを

 考える。この場合シミュレーション・モデルは、人々の質問に対し、リアルタイムに解を与える

 必要がある。このため、シミュレーション・モデル構築にあたっては、ヒューリスティックな方

 法を活用する。これをIT活用/探索型問題解決方式(problem solving by exploratory research

 assisted by IT technology)と名付けることにする。

 

・これはウィキペディアやFOSSなどのピア生産方式とは異なるが、21世紀型問題解決方式である。

  *ウィキペディアやFOSSは、衆知を活用するため、インターネットを集会場(コミュニティ)と

  するところに特色を持つ。しかし探索型問題解決方式は、①多様な構成集団が一堂に会し

  (衆知)、②必要な情報は高速コンピュータを用いたシミュレータ(定量情報)とインター

  ネット(定性情報)から取得し、③両者をぶつけ合いながら、適切な政策解を求めていくやり

  方である。

 

・この方式は、IT革新の2つの推進力(ネットワークと高速計算力)を用いて、人間の衆知を活性化

 させることにより、“込み入った問題”の解を求めていくやり方である。

3) 衆知に関して

 

IT活用/探索型問題解決方式やピア生産方式の重要な構成要因である衆知に関して整理しておく。

 

・衆知(collective wisdomもしくはcollective intelligence)とは、「人々が、協調と革新を通し

 て、より高次の複雑な思考、問題解決、統合を勝ち取ること」(George Porによる定義、ウィキ

 ペディア)(注29)。

 

・衆知の利点

①多様な考え方の人々が集まったほうが、優秀な個人単独より問題解決能力が高くなる(スコッ

 ト・ペイジ[46]の実験)。

②集団による解は、ある条件下で創発(個々の能力や考えを超えた解が得られること、emergence)

 をもたらす。

 

・衆知が有効になるための条件は、

       *各人が検討目的を理解し、議論に主体的に参加すること。

       *各人が同じ場に居ること。

       *各人は多様な考え方を有し、互いに独立であること。

 

・IT時代における衆知活用の試みとして、ここで示したように、コンピュータをメンバーの一員と

 して議論に参加させることが試みられている。「人々とコンピュータを結びつけ、“集団”として

 個人やコンピュータ単独より、優れた解を導く」(MIT Center for Collective Intelligence、IT

 活用/探索型問題解決方式もこれを狙う)。

 

・この場合のコンピュータの役割は、議論において、人ができない(もしくは不得手な)ことを担

 う(”what if”が与えられたとき、シミュレーションによって、それに呼応する定量的な将来像を

 描くこと)。

 

・この場合必要なのは、コンピュータがリアルタイムに解や議論に有用な情報提供をすること(リ

 アルタイム・シミュレータ)。これは計算能力の飛躍的向上によって可能になった(3-2参照)。

 

・これはIA(Intelligent Amplifier)といえる。つまりコンピュータと人間の知性との協力により、

 共同で未来を探索すること。

 

「高速シミュレーションを実現することで、これまでとは異なる時代に突入する」(Vinge[15])

 

・この場合に、解くテクニックとしてヒューリスティックス(コンピュータもしくは心理学の用

 語:仮説形成法)を用いる。これは、必ずしも正しい答えを導けるわけではないが、短時間で、

 ある程度のレベルで、正解に近い解を得ることができる方法である(ウィキペディア)(注30)。

 

・この場合に取るべき政策の選択基準:“最適”でなく“満足”解(ハーバード・サイモン[48])。彼は人

 工知能、組織論の専門で、ノーベル経済学賞受賞(1978年)。最適解は、現実社会の判定基準と

 しては非現実的(人間社会の複雑さ、我々の持つ情報の有限性を考えると)。むしろ、満足解が

 現実的と主張している。

  

・外国の例:MITのROMA(Radically Open Modeling Architecture)(注31)。ここでのアプロー

 チとの相違:ここでは大規模モデルに基づいてサロゲート・モデルをヒューリスティック化して

 再構築することにより、高速な解を得る仕組み。ROMAは大型モデルと対話するためのインター

 フェース(API)。

 

6.3 レジームシフトと歴史の存在 

 

 レジームシフトとは一つの制度が別の制度に転換することである。この転換は非可逆であり、時間は一方に流れる。これは歴史の存在を認めることである。またその転換をもたらす要因についてみていく必要がある。

 

1) レジームシフトと時間の流れ

 

・20世紀型社会/経済を抽象化した経済学であるモダン・マクロは、第4章で見たように、その仕組み

 が永遠に続くと考えていた。つまりそこでは、制度的転換のない無時間システムが想定されてい

 た。これはあまり現実的な仮定とはいえず、経済学分野以外の専門家から、さまざまな批判を受

 けてきた。

 

・数学者でフィールズ賞受賞のスメイルは経済専門誌American Economic Reviewに書いた「一般

 均衡のダイナミクス」と題する論文で、その非現実性を指摘している(注32)。一般均衡論におい

 ては、市場メカニズムによって一つの均衡が達成されていると仮定されており、仮にかく乱があ

 っても、単一安定系なので、元の状態に戻ることが想定されている。したがってそこに時間の流

 れの入る余地はない。つまり過去と現在、そして将来を区別するものはないことになる。

 

・こうした無時間システムでは、過去と将来が区別されない。哲学者カール・ポパーは、このよう

 な体系を、「科学決定論」と名付けている(注33)。そこでは未来は過去と同じく確定されてい

 る。そうだとすれば、「過去の出来事について十分に正確な記述がすべての自然法則と一緒に与

 えられれば、どのような出来事も望み通りの精度で合理的に予測できる」ことになる。経済の場

 合で言えば、経済行動に関する真のモデル(一般均衡)がわかり、そのパラメータが過去のデー

 タによって決定できれば、それを用いて、将来を正確に予測できることになる。これは映画フィ

 ルムと同じで、未来は過去と一緒に存在する(フィルムを逆回しすればよい)。

 

・ポパー自身は、こうした決定論には全く根拠がなく、過去と未来は非対称であると述べている

 (非決定論)。つまり過去は閉じており、未来は開かれている。この見方をとれば、そこには時

 間の流れというものが存在する。つまり歴史が存在することになる。

 

・歴史を考察対象に含めるということは、人間社会において、①時間が一方向に流れ、②その過程

 は非可逆であり、③その経路は分岐する可能性を持つことを認めることでもある。これは数学的

 に言うと非平衡(non equilibrium)領域の存在を認めるということになる。非平衡現象と時間の

 流れの関係について、ノーベル賞を受賞した統計力学の専門家イリヤ・ブリゴジンは以下のよう

 に述べている(注34)。

 

 「非平衡過程の物理学は一方向的な時間がもたらす効果を記述し、不可逆性に対して新しい意味

 を付与した」(プリゴジン[53])。

 

2) レジームシフトとキーパースン

 

・歴史に目を向けると、もうひとつ面白い問題が存在する。それは、一個人がレジームシフト(歴

 史の“進歩”)に果たす役割についてである(注35)。非平衡現象はいわゆるカオスの淵で生じる。

 そこでは自己組織化という例外事象が生じるが、これが生物や人類の進化にかかわることにな

 る。つまり、ごく少数の例外的な遺伝子(生物の場合)やビジョナリー(人間社会の場合)が、

 環境の変化とともに、新たな社会を展開するのに中心的な役割を果たしことになる。

 

・歴史における個人の役割を検討したのが、哲学者、市井三郎である。市井は歴史の転換点におけ

 る特定個人の役割に注目し、こうした転換を担う個人をキーパースンと名付けた。モキールが大

 技術革新において、無名の個人の役割を重視したのは(第3章)、この意味においてである。またマ

 ックス・ウェーバーが新たな宗教思想の誕生に辺境性を重視したのも、同じ趣旨だろう(古代ユ

 ダヤ教)。